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気まぐれ日記をごらん下さっている皆様、2012年も、もう1月下旬、雪も降って、とても寒い日がつづいております。 お変りありませんか? 私、瀬川瑛子は、変らず元気でおります。
昨年の東日本大震災は、つらく悲しい出来事でしたし、原発の問題が輪をかけ、地元の皆さんの、大きな苦しみになっております。今後少しでも早い復興が成されます様、心からお祈り致しております。
私は年が明け、早速昨年11月2日に発売に成りました、新曲いたわり坂のキャンペーンで、各地を廻っております。ほんの数ケ所ではありますが、“メガストアー”何軒ものお店が入った大変大きなショッピングモールばかり行きました。会場には、もう沢山のお客様、この様に大勢の方々が、私のミニコンサートを見に来て下さり、歌い終わった後のサイン会では(自分で云うのも何ですけど)長蛇の列、買って下さった皆様と、記念の2ショット撮影と、握手会をして、嬉しい、楽しい時間もあっと云う間・・・それでもミニコンサート(4曲)と握手会だけど、1時間以上かかります。一人一人の方と写真撮ったり、言葉を交わす、私にとっても貴重な時間です。サイン会が終り、着替えをする時、思った以上に、大汗をかいている事に気づき、改めてお客様の熱気を感じました。
さて今年はデビュー45周年、思い返してみるとやはり長い道のりでした。本当に自分が、45年も歌いつづけて来た事が、信じられない・・・それが実感です。 亡くなった父が、歌を教えてくれて、歌手への道を開いてくれました。子供の頃は友達と遊びたかったり、普通の生活にとても憧れ、芸能人の父を少しだけ、不満に思った事がありました。小さな頃、父は殆ど家にはおらず、一度仕事に出掛けると、2〜3ヶ月帰って来ませんでした。家に居る私は、普通のお父さんなら一緒に動物園に行ったり、食事をしたり出来るのに・・・と思ったり、父親の居ない家の心細さも感じていました。 でも、その頃、父は一生懸命に仕事をしていたのですね。熱があっても、声の調子が悪くても、私達家族の為にも、毎日々頑張って、歌っていてくれたのですね。そんな父ですから、私が、クラウンと云うレコード会社から、デビューすると決まった時、心の中で頑張れよ!!と思ってくれたと思います。自分が歩んだ歌手への道は、厳しく、辛かったに違いなく・・・だけど何より歌う事に、幸せを感じていたはずです。娘の私に、同じ道を歩かせる事は、ある意味不安だったでしょうし、期待もあったと思います。小さな頃、どうして私を歌手にしたいのか、聞いた事があります。その時、父は、歌は技術だと思う、学業に励むのも良いし、家事を習ってお嫁さんになるのも良いけど、パパは瑛子に、しっかり歌を身につけて、将来それで、生活出来る様になれると、嬉しいなぁーって、それと何より、日本中、色々な所に行けて、その土地々の、色んな人にふれあい、美味しい物も食べられるパパは、とても良い仕事をしてると自慢してました。デビュー45周年になって、益々好きになって行く歌を、歌いながら、私は心から、父に感謝をしています。そして、じっと見守っていてくれた母にも、45周年支えて下さっている、色々なファンの方々にも、心から感謝です。
皆さま、45周年は通過点です。私、瀬川瑛子は、大目標80才まで現役で!が夢ですので、今年も、来年も、再来年も、ず〜〜と元気で応援して下さいネ!! 指切りゲンマン |
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